財務長官就任を前に、やっておきたいことがあった。
「街を歩きたいんだ・・・地下鉄の乗り方を教えてくれない?」
これからは国内外の人に顔を知られる存在になるだろう、となると、街を歩くことが難しくなる。しかももともと車移動が多かったから、地下鉄の乗り方はほとんど分からない。・・・国民の代表がこのままでいいはずがない。
というわけで、加藤を伴って、殿下と待ち合わせをしたレストランに、公共交通機関を使って行ってみた。
「そうか、僕も街を歩くことはあっても、地下鉄には随分乗っていないね。どうだった?」
「あんなにも深いところを通っているなんて知りませんでした。しかも、たくさんの人が乗っているのに、みんなどこを見ているのか分からないような表情で過ごしているんですよ。何だか流されていくだけ、みたいな感じで戸惑いました」
「都会では他人に干渉しないほうが過ごしやすかったりするからね。・・・だったら沢渡くん、これからも街を歩いていいってことじゃない?今日も特に、注目を浴びることはなかったってことだよね」
え?
「僕たちが思っているほど、世間の人たちは僕たちに目を向けていないということだ。それでも変に意識するのは・・・自意識過剰じゃない?」
あ・・・。確かに殿下は今でもふらっと街を歩かれている。僕も殿下と一緒に外出させていただいたことがあったけど、周囲の人に気づかれても、殿下が気さくに挨拶をされると、それ以上騒ぎが大きくなったりすることはなかった。
「ただ警備の問題があるから積極的に、とは言わないけれど、これからも普通に過ごせばいい。というか、一般市民の感覚は忘れないようにしたほうがいい」
はい、覚えておきます。仕事にかかりっきりになって周りが見えなくなる、ということは避けたい。
「殿下は皇太子になられた時、どうお感じになられましたか?」
殿下は皇太子になられてから外務を担当されるようになったので、世間へのお披露目は皇太子就任時だった。
「そうだね・・・、僕の場合は先の殿下にご不幸があったから早まったわけだけど、それでも比較的落ち着いて受け止めることができた気がする。今思うと、準備は万全ではなかったにもかかわらず、その自信はどこから来ていたのか、と怖くなるけれど、悪くはなかったよ。それもあって、冷静さを保つということを、今も常に心がけているかな?」
確かに、殿下はいつも落ち着いていらっしゃる。・・・けど、結城が言ってた。僕のことになると殿下は取り乱される、と。
「殿下に安心して仕事をしていただけるよう、頑張ります」
すると殿下は大笑いされた。
「それは気負いすぎだよ。僕のためではなくて、まずは自分のために仕事をしなさい。等身大の自分でいることを忘れないで」