去り際に加藤が言った。
「明日からは長官と呼ばせていただきます。今日は早めにお休みくだ・・・」
「ちょっと待って!別に変えなくてもいいから」
加藤が不思議そうな顔をして首を傾げる。
「今更そういう関係でもないじゃないか。陛下や殿下はこれからも僕のことを名前でお呼びになるだろうから、加藤も別にそのままでいいよ」
「ですが、それでは周囲に示しがつきません。こういうことは初めが肝心ですし、徹底されたほうがよろしいかと・・・」
「ううん、加藤は別だよ。僕はおだてられることに慣れていないから、いつも一番近いところにいる加藤にはこのままでいてほしいんだ。初心を忘れないためにも、ね」
そうですか?とそれでも納得いかない様子で、加藤はまだその場にたたずんでいる。
「結城に怒られたら直してもらうから、それまではそういうことにしておいて」
分かりました、と、渋々納得して、加藤は下がっていく。
明日になれば、僕を取り巻く環境は大いに変わるだろう。どこに行っても注目され、プライベートはなくなるかもしれない。でも、もう隠さなくていいのだと思うと気が楽だ。大切なのは、これはスタートでしかないということだ。あくまでも僕は政治家なのだから、仕事の内容で勝負するしかない。僕は僕で、周囲に流されることなく自分の意志を貫き通し使命を果たす、ただそれだけ。
でも、胸の中には静かな興奮も感じている。16歳で財務長官に就任するなど、前代未聞のことだ。世間の人たちは驚いてくれるかな?メディアではどのように取り上げられるかな?・・・テレビ映りはいいかな?そう考えると、今日は早めに寝ておいたほうが肌のためにいいだろう、仲野さんに苦労をかけないで済む。
でもその前に、・・・携帯を取り出して、耳に当てる。
“こんばんは”
今日は眠そうな声じゃないね。
“実はまだ一つ済ませていない宿題があったことに気がついて、大わらわなんです”
・・・なんだ、この展開は。でもおかげで、少し気持ちが和んだ。人にはそれぞれの生活があって、それぞれに出来事の重要度が違う。僕が勝手に一人で舞い上がって、彼女との距離を作ってしまってはいけない・・・でも同時に、彼女のために、僕は大きな人になりたいとも思う。
「深雪は僕のどこが好き?」
“え~、全部好きですけど、・・・特にその眼差しが好きです。・・・いや、でも、希さんに見つめられるとドキドキしちゃって、何もできなくなっちゃうんですけど”
かわいいな。電話なのが残念だ。・・・会いたくなってしまった。