試験も半分以上終わった、の一方で、沢渡は明日から、まとめて受けに行くそうだ。もちろん、試験問題の漏洩はしない約束だ …これは学校側からというよりも、沢渡側からの要望だ。沢渡はもちろん、不正を好むわけなどなく、というか、いずれにせよ満点を取ってしまうんだろうと思う。
ということで、今日は沢渡も、テーブルの向かい側で必死になって問題に取り組んでいるが、それは手を動かすというよりもむしろ、見ているという感じ。
「それで覚えられるの?」
「え?イチイチ書いていたら日が暮れるだろ?だから、書くのは最終手段。基本は目で見て、声に出して覚える」
なるほど、それで、さっきからブツブツと、声に出すまではいかないけど、口を動かしながら覚えているのか。持っているペンは、できたところのチェック用らしい。次々とチェックを入れていく様子を見ると、僕よりも数倍頭の回転が速いんだろうな…、数十倍かもしれない。
「別に落ち込む必要はないぞ。朝霧だって、語学はいけるし、演奏するときも、暗譜した上、指示も覚えて弾くわけだろ?十分立派だから。いやそれよりも、しばらく黙ってて、邪魔しないで」
そう言って、沢渡はテキストを片手に、ブツブツ言いながら、部屋をウロウロと歩き始めた。なるほどなぁ~、でも僕のほうは暗記物はほとんど終わって、明日は問題の理数系の科目。沢渡が戻ってくるまでに、まとめて聞けるように、分からない問題をまとめておくか。
そして程なく沢渡が戻ってきて、休憩することになった。
「朝霧、ちょっと頼みがあるんだけど、ピアノ弾いてくれない?」
はい?
「同じようにしか、弾けなくなってしまって…」
ははぁ~。確かに、沢渡は楽譜に忠実に弾くと言うよりは、感情に任せて弾くタイプだ。だからもちろん、コンクールなど一般向けではないけれど、僕個人としては非常に興味深くて好きな演奏である。でもそれが同じようになっているということは、気持ちに余裕がないということなのかな?
ならば、と、できるだけ軽やかで心が安らぐ曲を選んでみる。多分、沢渡ならこういう弾き方はしないだろうな、という感じで。
「何?今の」
演奏が終わって沢渡のほうを見ると、なんと涙ぐんでいた。
「ちょっと、大丈夫?」
「同じピアノとは思えなかった。朝霧の演奏に、ピアノが喜んでいるように聞こえたよ。いつも低く重い曲ばっかり演奏されるんじゃ、このピアノもかわいそうだ」
別にピアノは生き物ではないので、そういうことは意識しなくてもいいと思うけど。そういうところも、意外にも感情に左右されやすい、沢渡の性格が現れているように見える。でもこのピアノが響殿下からのプレゼントである以上、弾く度に響殿下のことが思い出されないはずはない。ピアノに申し訳ない、はつまり、響殿下に申し訳ない、と思っているのと同じようなものだ。
「じゃあ、今度は沢渡が弾いてみて。最近、どんな感じなの?」
その指が回っていない感じからみると、あまり弾いていないということなのだろうけど、それでも沢渡の気持ちが伝わってきていいと思った。
「そういうのもひっくるめて、沢渡らしいピアノだと思うよ。そして、そういう演奏が、響殿下もお好きだったんだと思うけど?」
「う~ん。そうかな~?みんな、俺は俺のままでいいとか、俺らしくいろとか言うんだけど、変化を取り入れることも必要だと思うんだよ。上に立つ人間としては、安定感を感じさせることも大事だけど、でもまだ若いから、常に成長していくところも見せたいんだ。そのさじ加減が難しいと、最近よく思う」
なるほどね。さじ加減か。…僕にも心当たりがあるね、クラシックとオリジナル曲の比率とか、楽士としての活動と、ソロとしての活動とか。
「でも、今の俺自身の演奏も、いつものとは違ってた。朝霧の演奏を聴いた後だったから。…久しぶりに感動した気がする。いろいろなことに追われすぎて、心を動かす余裕がなかったみたいだ」
「僕に出来ることがあるなら、いくらでも言って。いつもお世話になってるからね」
そうだよ、いつも相談に乗ってもらっているのは僕のほうだから、何かしてあげたい。
「じゃあ、もう1曲だけ弾いて。そしたら、勉強再開な」
はい…。そうです。試験はまだ続くのです…。