1/30 (月) 22:30 訪問

もうすぐ試験ということで、ターボリフトに乗り込んで、「沢渡殿下の部屋」と行き先を告げる。…沢渡が殿下になるなんて、響殿下が亡くなられたことでさえ、まだ受け止め切れていないのに。

沢渡のおかげで僕も親しくさせていただいて、僕の演奏を喜んで聴いてくださったり、逆に手料理をごちそうになったりした。響殿下ご夫妻の部屋は今もそのままになっていると聞いている。…王宮のことだから、沢渡の即位や何やらでまだ手が回らないというのが本音なのかもしれないけれど。

ドアが開くと、沢渡がたくさんの電子機器に囲まれていた。

「あ、どうぞ。コーヒー薄めに淹れてくれる?」

はいはい。勉強を教えていただく代わりに、それくらいのことはさせていただきますよ。…でも、薄めにとわざわざ言うということは、大分お疲れのご様子だ。

そして僕は、勝手知ったるキッチンで二人分のコーヒーを淹れて、リビングへ持っていく。

「それと、これ、まだダイジェスト版だけど、僕のCDのサンプルなんだ」

「うわ!聴きたい!」

彼は、CDをコンポに投入して、ヴォリュームを大きめにして流してくれる。

来月末発売予定の僕のCDは、クラシックの名曲に加え、オリジナル曲を3曲収録している。『やすらぎ』、『Symphony』、そして、ボーナストラックとして、沢渡と共演した『HOPE』。…沢渡に弾いてもらうかどうかは、散々二人で話し合ったんだった。

「これは朝霧のアルバムだから僕が出て行ってもしょうがない。お前は実力があるんだから、便乗してるなんて言われるのは本意じゃないだろう」

「でも普段クラシックに興味がない人でも、これを機会に聴くようになってくれればこんなに嬉しいことはない。それに、これは君と僕の曲だから、頼むよ」

結局は納得して、コメントまで寄せてくれることになった。沢渡の知名度に比べたら僕なんてまだまだだし、女の子への人気も桁違い。現に僕のアルバムリリースだって「沢渡殿下の演奏が聴ける」とか、「沢渡殿下への曲」なんて紹介されている。でも開き直った。入口はどこだっていい、僕の演奏を気に入ってくれる人がいれば幸い、無理強いはしない代わりに出来るだけ多くの人に聴いてもらいたい、ただそれだけだから。

「なあ、これ何を思って弾いたんだ?」

最初の2曲は黙って聴いていた沢渡がやっと口を開いた。…どういう意味だろう?

「何って…あまり考えなかった。曲はすべて希望どおりってわけにはいかなかったけど…ほらリクエストがあるじゃない?でもとにかく僕のアルバムってことで嬉しくて、気持ち良く弾けたと思うよ」

「ふ~ん、やっぱり。…いい音してるよ。何て言うか伸びが違うな。誕生日に『やすらぎ』を聴いた時もやたら感動したんだけど、だんだん変わってきてる気がする。俺は素人だからうまく言えないんだけど、凄くいいよ」

「耳の肥えた沢渡殿下に、そう言っていただけると光栄です」

「茶化すなよな。…あ、これ」

流れてきたのは『Symphony』実は今月の響殿下の誕生日のために以前から書いていたもので、まさかこんな形で発表することになるとは思わなかったけど、どうしても入れたかった。舞さんと楽しく食事されるところをイメージして楽しくポップな仕上がりになっている。

「響殿下もお喜びになるよ、ピッタリだな。お前ほんと作曲のセンスあるよ」

「本当にそう思う?」

「ああ、もっと書くべきだよ。…来た」

流れてきたのは『HOPE』…実は今悩んでるんだよね。僕自身作曲するのが凄く楽しくて、…でもそうなると引っ掛かるところがあるんだ。

…毎日仕事で疲れきっているであろう沢渡が、目を閉じて幸せそうに聴いている。僕の作品がこうして友人を和ませることが出来るのなら、もっと書いてみたいと思う。演奏的にはまだコンクールでの優勝は一つだけだし、鳴り物入りで世間からチヤホヤされているけど、一旦好きなことに目覚めた以上その道に進みたい。王宮では楽士という立場上、演奏する曲が限られたり時間を拘束されたりしていて、今まで勉強させていただいた分ある程度は仕方ないとは思うけれど、リサイタルで自分のステージを経験してしまってからは、どうも窮屈に感じられてしまう。まだ誰にも話したことはないんだけど、…相談してみようか。

「いきなり素人演奏で申し訳ないけど、何度聴いても『HOPE』はいいね。何て言うか俺のためのアルバムみたいって…ひとりよがりだけどありがとう。原稿今週中だったよな、任せといて。…ん?」

沢渡が僕の様子に気づいて首をかしげる。

「進路のことでいろいろと悩んでいて…。でも、試験も大事だし、また時間のあるときに。相談に乗ってくれる?」

「それはもちろん。俺は、ヴァイオリニスト朝霧智史の大ファンだから、いい演奏が聴けるようにするためには、どんな協力も惜しまないよ」

そうか、ありがとう。沢渡が言ってくれると、心強い。

「でも、とりあえず試験だ。お前、大丈夫なんだろうな?…って、あんまり他人のことも言えないけど」

はい…。沢渡を前にして、忙しいは言い訳にならない…。頑張らないと。

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