昨年はただただ圧倒されているだけだったので、まさか自分がステージに立つ側になるなんて思ってもみなかった。周りはキャーキャー騒いでいたけど、たかが演劇部の公演なのに何がそんなに楽しいのか。・・・確かに入学式で見た生徒会長はちょっとカッコよかったけど、行事の一つという感じで、まるで期待なんてしてなかったから。
希の時はどうだったの?と聞いてみたら、一昨日はクラシックのアンサンブルだったそう。年によってジャンルは違ったけど、学外からゲストを招くことが恒例だったところを、昨年から兼古先輩の鶴の一声で演劇部が公演することが決まったとかで。でもそうだよね、新入生を歓迎するのに、卒業生とはいえ学外から呼んだんじゃ意味がない。二、三年がするのが当然でしょう。
ただ、最初の印象が悪かったせいか、希の新入生に対する評価はかなり低いみたい。二年の間でも噂になっている。「沢先輩は一年生に対しては今までのような笑顔を見せない」って。
でもいつでもどんな時でも公平な希がそんなに差別をするなんて、ちょっと意外。先輩は後輩に指導してあげなきゃ、なんて言ってたわりに、突き放しているように見えるよ。礼儀も知らないで俺に話しかけるな、みたいな。それはやっぱり、厳しい階級社会に生きているからなんだろうけどね・・・そんな中で私なんかが生きられるのかな?舞さんは「殿下と一緒にいるためにはそれしかないし、辛かったけど頑張ったよ」っておっしゃっていたけど・・・。
本当はすでに辛いことばっかりだよ。昨日の身体測定でブレスレットがバレた時のみんなの反応は、見て見ないフリ。そんなの何かの間違いよ、なかったことにしましょう、とまるで無視。以前から私と周囲のみんなは微妙な関係にある。付き合い出した当初はヒドイ嫌がらせに遭った。でも・・・思い出したくないけど、林田先輩の態度が明らかにおかしくなっていったことについてあらゆる憶測が飛び交って、結果的にみんなは私に関わらないようになった。
気持ちは分かるよ、みんなも希のことが好きなんだもん、私の存在なんて認めたくないに決まってる。でも別にいいの、それでも。私はもともと群れるタイプではないし、二年になっても若菜が一緒のクラスになってくれたから平気・・・そう思ってた。でも予想以上の冷たい反応に、今はこのブレスレットが少しばかり重い気がする。もらったことはとっても嬉しくて誰かに見せびらかしたい気分だけど、そうできないのがもどかしいどころか辛い。希と会っている時は本当に幸せだよ、でも実際は会えない時間のほうが多くて、一人だと余計にいろんなことを考えすぎちゃう・・・。
「深雪ちゃん、どうかした?」
たまには羽目をはずすけど、朝霧先輩って優しい人。
「いえ、大丈夫です。・・・バレたら大変ですよ」
希はこの間のこと以来、「アイツに話しかけられても答えるな」って言ってる。
「アイツのことはどうでもいいんだよ、今は深雪ちゃん自身の問題」
あんまり真顔で見つめてくれるものだから、思わず泣きそうになっちゃった・・・けど。
「本当に大丈夫ですから。・・・本番よろしくお願いします」
舞台に立てば、何もかも忘れられるから・・・。
「今日はいつも以上に良かったよ。あそこのアドリブ、今度は台本に入れさせてもらうよ」
帰りは希が送ってくれることになって、広い後部座席で二人っきり。優しく頭をなでてくれたりするから、気が緩んじゃったんだと思う。急に視界がゆがんできた。
「深雪?」
その声に最後の留め金をはずされて、私は希の胸に飛び込んだ。
「何だよ。・・・どうしたんだよ。・・・また誰かに何かされたのか?」
・・・分かってないよ、希は。誰にも何もされないんだよ。・・・当然だよね、そんなこと希には絶対ありえないもんね。・・・とまでは言葉にならなくて、ううん、と首を振った。
「じゃあ何?俺が何かした?」
これも、ううん。見当違いだよ、それは。
「じゃあ、・・・・・・?いいや、しばらく泣いてろ」
希が私を抱き直して、大きな手で更に頭をなでてくれる。・・・でもその言い草はないんじゃないの!って思うと同時にちょっとおかしかった。希の胸はあったかい、甘やかな香りにとろけてしまいそうになる。・・・ずっとこのままいれたらいいのに。さっきまであんなに不安で寂しかったのに、一気に吹き飛んじゃった。なのに、ずっと、なんて言葉はない。このままじゃいられない。
「どうしたんだ?・・・言ってくれなきゃ分からないよ」
ちょっと落ち着いた頃を見計らって、希は手を緩めた。これ以上ないというほどの心配顔・・・言うまでは帰さないぞ!その目が語っていた。
「俺だって本当はずっとこうしていたいよ。でも仕事だからな」
「・・・うん」
これが希の精一杯だって、お互いそれで我慢できないなら別れようって、そういう約束だもんね。
「いや、別れない、絶対別れたくない!」
「俺だってそんなつもりはないよ」
そう言って、また新たに流れ出した涙をハンカチで拭ってくれた。
「でも・・・、ちょっと俺に頼りすぎじゃないかな?」
ドキッ。
「深雪は自分のことが好き?」
え?希が私の目の奥までも覗き込むように、顔を突き合わせてきた。
「俺は深雪のことを愛してるよ。でもそれ以上に、自分で自分のことを愛してあげなきゃ。深雪は俺と出逢って毎日が楽しくなったって言ってくれたよね。でも君の人生の中で俺はあくまでも脇役でしかないから、最後に頼りになるのは自分だけなんだよ。もっと自分のことに目を向けてみて」
そうだった。希は私に、自力で入宮してほしいと言った。希と一緒にいるからじゃなく、自ら光を放つ人であってほしいと。・・・ついこの間言われたところなのに、もう忘れてたみたい。
「ゴメンね、希の期待に添えなくて・・・」
「だから、そこが間違ってるんだよ」
困ったなぁ、と、なだめ諭すように私の肩に手を載せてポンと叩いた。
「俺が勉強しろって言っているのは、俺のためにじゃなくて自分のためにだよ。そりゃ、いい成績とってくれたり、楽しそうにしてくれたりするのは俺も嬉しいけど、もっと自分のことを褒めてあげなよ。響殿下にもおっしゃっていただいたんだろ?『もっと自信を持ってもいい』って。俺もその通りだと思う」
「自分のため」
そうだよ、と優しく頷いた。
希の言う通りだ。私はすぐに忘れてしまう。自分のためにしなきゃと、前にも思っていたはずなのに、気づくと希のことばかり考えている。
希は私に、何でも話すように、っていつも言う。そして希自身も仕事のことはもちろん話さないけど、普段感じていることとか、私について思ってくれていることは結構話してくれる。時々は耳の痛いこともある。でも今のこともそうだったみたいに、私以上に私のことを分かってくれている。いつも決してはずさない。
考えてみればそうだよ。一日のうちで希に会える時間っていうのは会えない時間よりも断然少ないわけで、会える時間のために一日を過ごすのは確かにもったいないし、辛い。会えない時間は自分自身のために・・・、自分をもっと好きになれるように・・・。
「どうしてできなくなっちゃうんだろう。やっぱり寂しい」
「それは分かるけど・・・、そうだな、何か一つ夢中になれることを探したほうがいいんじゃないかな?趣味を持つんだ」
趣味かぁ~、私は家に帰っていつも何をしてるんだろう?お稽古事のほかには、犬と遊んでるくらいかな?
「もっと演劇を極めてみないか?舞台をたくさん見に行くっていうのにはちょっと無理があるから、ビデオでとか、映画なんかもいいんじゃないかな?」
「そのくらいだったら出来そう」
よかった、と希は私の肩から手を離した。
「時々は一緒に見に行こうな。最近なかなか映画を見るのもままならないから、いいのがあったら教えてよ。ヘアメイクの勉強にもなるじゃないか」
本当だね。何でそれにもっと早く気づかなかったんだろう。
「分かりました。何か見たら、レポートを提出いたします」
「健闘を祈ります」
最後は教師と生徒っぽくなったりして・・・、涙はもうどこかに消えてなくなっていた。
私にとって希はやっぱり絶対的な人。・・・自分を好きになろうっていうのも逆に言えばそれで希が喜んでくれるからかも。でも会えない時間が辛すぎることだけは確かだから、気を紛らわせる方法を見つけなきゃ、とは思っていたし。
「ありがとう、頑張ってみるよ」
「急に頑張らなくてもいいよ、少しずつそうしていこう」
降りてもしばらくは、車が去っていく方向をずっと眺めていた・・・。