6/16 (木) 19:00 演劇→ヴァイオリン→演劇

沢渡が大分落ち着きを取り戻してきた。宮殿の中は相変わらずバタバタしているが、沢渡には関係ないらしい。あくまでもマイペースにまずは演劇のことを考え、できる範囲で来月から始まる議会の準備の手伝いもしているようだ。帰国してすぐは僕から見ても辛そうな表情をしていたが、昨日くらいからはエネルギーが満ち溢れてきた気がする。

僕の役も、先輩との話し合いのおかげで完成度が高くなった。沢渡演じる小宮山に生と死について考えさせるきっかけになるのが、僕が演じる山口との会話であり死なのだから、僕の役目は重要だ。彼と僕とは重なるところもあるが、多くは重ならない。一番違うのは、僕自身はあまり生について深く考えることがなかったということ。僕はヴァイオリニストになりたいという夢に向かってひたすら前進してきた。そこには生きているというのが前提としてあるわけで、生きる理由や残された時間について考えることはなかった。

でも今回この役を演じるにあたって、もし余命が短かったらどうするかとか、沢渡のことと関連づけて、もし失明してしまったらとか、ヴァイオリンが弾けなくなるような怪我をしてしまったらどうするかとか、いろいろなことを考えた。そこで改めて気づかされたことは、僕からヴァイオリンを取ってしまったら何も残らなくなるということ。だから今を大切にして、とにかくヴァイオリンの練習に励まなければと思った。・・・もちろん演劇も頑張るけど。

でも同時に、僕はなんて自分勝手なのだろうとも思った。結局は自分のことしか考えていない、こんな自分が時々嫌になる。沢渡が大変な時になんて声をかけてあげればいいのか分からなかったし、彼が学校を休んでいる間クラスメートからあれこれ聞かれた時も、ただしどろもどろになってしまっただけだった。

「朝霧の器用さは、全部手先にいってしまったみたいだな」

なんて沢渡は笑っていたけど、いいのかな?こんな僕でも。

そしてまたヴァイオリンを取り出す。・・・そうだ、僕が観客のために演奏してその人たちが喜んでくれれば、僕だって他人の役に立てていることになる。そしてまたヴァイオリンの練習を一生懸命すれば、それは演劇にも反映される・・・少なくとも今はそうだ。僕が演じる山口は、短い人生を一生懸命生きている。一生懸命生きるということはどういうことなのか・・・一瞬一瞬を大切にして密度の濃い時間を過ごすということ。僕にとってそれを疑似体験できるのは、ヴァイオリンの演奏に集中する時。

華やかに。演奏には僕の気持ちを載せればいいというものではない。作曲家の思いを代弁しなければならない、そしてそれができなければ、プロのヴァイオリニストとしては認めてもらえない。よし、やるぞ。

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