12/17 (土) 23:30 孤島での誕生パーティー1

お昼前に、殿下とともに、深雪と兼古先輩、清水先輩の到着を待った。

「いらっしゃい、僕も楽しみだよ。今日と明日、ゆっくりしていってね」

お世話になります、と三人揃って殿下に一礼。

「僕のためにありがとうございます。…それにしてもこんなにたくさん何を持ってきたんですか?何でも揃っていますよ」

仕官が荷物を台車に載せてついてきた。

「いいんだ沢渡くん。あとのお楽しみってことで」

もう殿下は。…はいはい、楽しみにしてますよ。

迎賓館へはいったん地下に下りて、最近は街でも導入されている静音設計の新交通システムに乗り換える。お客様の三人は訳も分からずただついてきているだけという感じだけど、普段は首脳クラスの超VIPしか招待しない、でも実際に滞在した方々からはすこぶる評判がよくて、一般市民の間には噂が噂を呼んでいる施設である。ただ約一名、散歩によく来られる方もいらっしゃいますけどね。

発車して間もなく、両側と天井の視界がぱっと開ける。

「うわ~綺麗、本当に海の中を進んでいるんですね」

「綺麗でしょう。いつもはこの下の作業用通路を歩いているんだ。夜はちょっと怖いけどね」

「サメはいないんですか?」

「この湾と外海の一部は王宮の所有だから、誰かが飼わない限りはいないんじゃないかな?」

飼わなくていいですからね。え、サメ嫌い?なんて前の方でお三人が戯れている間、僕達は再会のキスをして、深雪は僕の腕をそっと引き寄せた。

「会いたかった。…最近テレビで見てるの嫌なの。見てるだけじゃ、温もりも香りも伝わってこないもん、余計に会いたくなっちゃう」

深雪もちょっと成長したかな?前はビデオを何回も見てるって言ってた。テレビの僕も確かに僕だけどやっぱり多少作っているところがあるから、それに仕事だから、あれがすべてだとは思って欲しくない。こうして本当の素の僕を求めてくれるようになって、より一層愛しく思えてきた、今日この頃。

「ごめんな、寂しい思いをさせて。僕だって同じ気持ちなんだ、話したいこともたくさんあるしね。テストの結果とか」

「もう意地悪。今回も頑張ったよ、赤丸急上昇、先生もイチオシの成長株なんだから」

「ならよかった。いじめられたりしてないか?」

「うん、大丈夫だよ。希のほうこそ、無理してない?最近学校にも結構来てるし」

「この間居眠りして、気がついたら休み時間だったんだ。ついにやっちゃったと言うか、誰か起こしてくれればいいのに」

「そんな…、希が超多忙だってみんな知ってるから起こせないよ。それに幸せそうに寝るんだもん」

「みんなに言われるけど、自分じゃ分からないからな…。ほら、もうすぐ着くよ」

迎賓館に着くと、舞さんと朝霧、加藤を中心にあれこれ準備に追われていた。とりあえず荷物を置いて昼食を取ることになり、そこで初めて僕は計画を聞かされた。

「明日は沢渡くんの誕生日ということで、何をプレゼントしたら喜んでくれるかといろいろ考えた結果、沢渡くん主演のビデオドラマを制作することに決めました。沢渡くんは本人役で出演、他の共演者にはストーリーを導くように大まかな設定は教えてあります。でもストーリー展開そして結末がどうなるかは沢渡くん次第ということで、楽しんでもらえたらいいなと思います」

「ということで、清水さんと僕とで相談してセッティングしたから、どうなるかこっちも楽しみだよ」

そういうことだったんだ。しかも、殿下も相当楽しんでいらっしゃるね。結城や加藤も出演者の候補なのかな?

「要するに沢渡くんのドキュメントみたいな感じで仕官の木村さんがカメラを持って密着してくださるし、もちろん回っていない時も各人の演技は続きます。これから一日、現実と架空の世界が交錯する不思議な体験ができるというわけです。最初は私達が迎賓館に到着するシーンからです」

「設定はそれだけなんですか?」

「そうよ。カメラを意識しないで、いつも通りに振る舞ってね」

面白そう、何が起こるんだ…。でもスタンバイする前に深雪がぎゅっと抱きついてきたのがちょっと気になったけど。

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-シーン1、迎賓館の入口にて。僕と朝霧が待っているところに、殿下と舞さんが先輩達と深雪を案内してきてくださった-

沢渡:僕のために、お忙しい中来てくださってありがとうございます。どうぞごゆっくりおくつろぎください。

兼古:その口調じゃくつろげないな。お前は主役なんだから、もっとリラックスしろよ。

沢渡:そうですね。兼古先輩も今日だけは受験勉強を忘れて楽しんでくださいね。

兼古:分かってるなら口に出すな。(一同爆笑)

殿下:じゃあまず部屋に案内するね、清水さんと兼古くんはこちらへ。(去る)

朝霧:僕は先にリビングで待ってるよ。(去る)

沢渡:と言うことは僕が深雪を案内するわけだ。どうぞこっちに。(自室へ案内しドアを閉める)

本当に木村さんも入ってくるんだ…。

深雪:うわ~綺麗。(窓に駆け寄って海を眺める)魚が泳いでるよ。

沢渡:そうだな。水下2階のほうが更に海の中にいるって気になれるからこの部屋をもらったんだ。いい眺めだろ。(深雪を後ろから抱きしめ頬に一度キスをしてから、改めて正面を向かせ)会いたかった…。(両手を窓に押し付けカメラからは見えないように唇にキス)

深雪:私も…、会いたかったよ。(僕を確かめるように背中にしがみついてくる)

-背後でドアの開く音、続いて閉まる音が聞こえる-

「行ったな。この調子で行くと、僕達の夜はどうなるんだ?」

笑って深雪から離れると、

「今のはカメラがあったから?私達は希にストーリーを楽しんでもらえるように綿密な打ち合わせをして頑張るんだから、普通にしてて。確かにカメラは気になるけど、後ろめたいことなんてないじゃない。だから…」

「ごめん悪かった。みんなの気持ちを素直に受け取るよ。お詫びのキス…」

深雪に言われては立つ瀬がない。これから何が起こるのか分からないけど、きっと一番近くにいる彼女が一番大変に違いない。…今日は何だか彼女に驚かされっぱなしだ。

-シーン2、リビングにて。僕と深雪が一緒に入って行く-

殿下:久々の再会はいかがかな?随分ゆっくりなお出ましだったね。

沢渡:たまには楽しませてくださいよ。それより、あんまりおっしゃると朝霧がかわいそうですよ。

朝霧:そうだよ、僕だけ一人だよ。

沢渡:でも知ってるぞ、外国で彼女を作ったって。一人だけ会えないっていうのがかわいそうだよな。

殿下:本当かい、朝霧くん!

朝霧:(オロオロして)どうしてもう知っているんだ。最近のことなのに…。

沢渡:僕の仕事には最新情報が不可欠なんだ。殿下、参りましょうか。

殿下:ああ、そうだね。…これから迎賓館を案内するよ、どうぞ。(先頭をきって歩き始める) まず気をつけてほしいことがあるんだけど、部屋のドアはすべてさっきつけてもらったIDバッジによって開閉するんだ。その中でも重要な部屋には、入ることは出来るが、出ることは出来ないという仕掛けがあるから、必要以外の場所には君達だけで入ったりしないように。…この迎賓館は外国のVIPの宿泊を目的に作られた施設で、水上1階、水下2階の海に浮かぶドーナツ型の人工島なんだ。どの部屋からも海を眺めることが出来る、天然の水族館といったところかな?

殿下が説明してくださっているけど、やっぱり少し遅れてしまう僕達。手を取り合ってここぞとばかりにデートを満喫させてもらっている。…すると清水先輩の悲鳴が聞こえた。

沢渡:どうしたんですか!

慌てて駆け寄ると、図書室の中で人が倒れていた。しかも血まみれで…。

深雪:いやー。

深雪が抱きついてきた。見るんじゃない!僕は彼女を隠すようにして抱きしめ覗き込むと、殿下がその人(僕も知っている仕官だ…)の脈を探し、ダメだといった様子で首を横にお振りになった。

殿下:舞、とりあえずみんなをリビングにお連れして。竹内、非常体制を張って…。

殿下がてきぱきと指示をなさり、僕も深雪に戻るように言ったが、ガタガタと震えて離れようとしない。

殿下:いいよ、沢渡くんは深雪ちゃんについていてあげて。

申し訳ありませんと一礼して、僕達はリビングに戻ることにした。

-シーン3、リビングにて。深雪がしばらくして落ち着いた頃、加藤が現れた-

加藤:折角楽しみに来ていただいたのに、とんだことになってしまい申し訳ありません。今この迎賓館は入口の隔壁が下りて、出入りできないようになっております。実はみなさんにも関係ある問題が生じまして、くれぐれも個人行動はなさらないようにお願いしに参りました。

沢渡:どういうこと?

加藤:先程の現場に声明文が残されていました。「今夜のパーティーは一風変わった趣向でお送りします、お楽しみに」と。

兼古:殺人パーティーということですか?

加藤:分かりません。ただ図書室の入口のセンサーでは、外部のIDは探知していませんでした。

沢渡:ということは内部の犯行で、しかも犯人はまだ館内にいると。

加藤:そういうことになります。…あ。

いきなり緩やかなメロディーが流れ始めた。これは火災探知機からのサインだ。

沢渡:朝霧、深雪のことを頼む。加藤!

ピアスを通して出火場所のデータが入る。“水下2階ワイン倉庫” 水下で起こるとは…、被害が大きくならなければいいが…。スプリンクラーは働いたんだろうな、陛下がお好きなワインがたくさん眠っている場所なのに。

沢渡:どういうこと?

倉庫に入ると、先に来ていた仕官が呆然と立ち尽くしていた。水浸しになった室内の真ん中に置かれていたものは、バーナー。今は消えているが、火災探知機に当たるように向けられている。

殿下:注意を引くのが目的だったのかな…。

殿下の呟きにはっと顔を見合わせた。そしてその時、パンと音がして室内の電気が消えた。マズイ!慌てて廊下を走り出した。日が短い冬の夕方、しかも水下2階ともなるとすでに辺りは暗闇である。

殿下:すぐ自家発電に切り替わるはずだろ。

しかし切り替わらないどころか、ピアスを使っての緊急通信にも応答がない。…完全にやられた、みんなが危ない。犯人の罠に簡単に引っ掛かってしまうなんて…。

階段を駆け上り、水上1階リビングへ。案の定停電ではドアが開かなくて、手動のレバーを加藤と二人で思い切り引っ張った。

殿下:大丈夫か!!

沢渡:大丈夫ですか!!

うっ…。入った途端息が詰まる…。迎賓館では防犯対策のため、各部屋に酸素調整装置がついている。例えば部外者が許可されない部屋に入ると、出ようとした途端センサーが反応してアラームが鳴るとともに、酸素が制限されるのだ。それがこんな形で悪用されるなんて。

殿下:早く、廊下に運び出すんだ。ドクターも呼んで!

部屋ではみんな折り重なるようにして倒れていた。…でも、

沢渡:深雪がいない、深雪!どこだ!

朝霧:(朦朧としながら)沢渡…ごめん…。誰かに…連れ去られた…。

沢渡:何だって!

連れ去ると言っても今は出入りできないんだから、どこかにいるはずだ。幸いみんなは気絶しているだけで、しばらくすれば気がつくということで、

沢渡:加藤、反対回りに探して。そう遠くには行っていないはずだ。

加藤:かしこまりました。

僕は部屋を一つ一つ見て回ることにした。

-シーン4-

30分経つのにまだ見つからない、…明らかに内部の、この迎賓館の仕組みをよく知っている者の犯行だ。僕の誕生日が気に入らないのか、友達を呼んだのがいけなかったのか、いずれにせよ僕達の行動を予測して、それを逆手に取っている知能犯だ。

結城:沢渡、ここはひとまず考えよう。

宮殿から船で駆けつけてきたという結城が、懐中電灯片手に僕の前に立ちはだかった。

沢渡:そう落ち着いてはいられないよ。さっき死体を見せ付けられたんだよ!

結城:ニ通目の声明文がリビングに残されていた。「沢渡さん、明日には素敵なプレゼントをお届けできると思います」だ。明日には、ということは今日は何もしないということじゃないのか?それにこんなに見つからないなら闇雲に探したってダメだ、こっちも計画を練ろう。

確かに結城の言う通りだ。どこかに盲点があるはずなんだから。

結城:気持ちは分かるが、お前のせいじゃない。しかも仕官の叛乱だからな、俺も穏やかじゃないが、今はとにかく作戦会議だ。必ず見つかるよ。

うん…。結城の肩に頭をもたげるとそっと抱きしめてくれた。僕が今すべきことは何なのか…、少しずつ冷静な判断力が甦ってきた頃、ようやく電気が復旧した。

-シーン5-

みんなの意識もひとまず戻り、医療室で休んでもらっている。

結城:おそらく犯人は今も平然と仕事をしているはずだ。そして明日見つかるようにしたいのなら、今はこっそりどこかに隠しているんじゃないかな。
殿下:そうだね。沢渡くんにダメージを与えるためには、衝撃的なシチュエーションを考えるだろう。

殿下~、やめてくださいよ。もう十分ですから…。

加藤:しかし木は森に隠せと申しますし、どこかにオブジェのように飾られていたらどうでしょうか?こっそりではなく大胆に、かもしれません。

殿下:犯人もね、僕達より沢渡くん自身に見つけて欲しいと思うんだよ。沢渡くんが好きな場所に行ってみよう。

沢渡:もう何度も行きましたよ。今更状況が変わるなんて思えません。

その時ピアスにデータが舞い込んできた。“通信リンクが復旧しました。大変です、プールが赤く染まっています”

結城:待て、これは罠だ。俺は一応プールに行くが、お前らは散らばれ。響、お前は一人になるなよ。

曲がりなりにも皇太子殿下でいらっしゃるから、身を案じているのだろう。僕には武術の心得があるから大丈夫。さてどこに行こう、深雪に見せたかった景色…。太陽光発電室!!水上2階に当たる屋根裏部屋というべき場所で、少し危険だけど外に出ることも出来、夜は絶好のプラネタリウムとなる。本当は立ち入り禁止だけど、特別に入れてもらっているのだ。

非常灯がうっすらついている薄暗い階段を上る。天気はいいし冬で空気が澄んでいるから、星が一段と輝きを増している。

沢渡:誰だ!

人の気配を感じたような気がして声を張り上げるが返事はない。…?コントロールパネルの上に一枚の紙切れが…。「沢渡さん残念でした、ここではありません」何!…いや、でも待てよ、こんな紙切れ一枚で僕を帰そうなんて思うなよ!もう一度くまなく探してみる。あの紙切れをいつ置いたんだ?犯人がここに来たことは間違いないんだけど…。

沢渡:はっ!!

振り向く間もなく、背中に硬いものを押し当てられた。

男:パーティーはまだまだ序盤なんですよ、まだあなたに気づかれるわけにはいかない。…それとももうお開きですか?

変声機を通した不快な声、そしてカチッと安全装置を外す音がする…本気だよ。僕が宮殿内にいる時は、防弾ベストを着けていないことも知っているのだろう。

沢渡:深雪はどこだ?何のためにこんなことをするんだ。

努めて冷静に言い放つ。

男:いくらあなたが武道の達人でも、私のピストルには敵わない。…あなたの命は私の手の中にあるんですよ、彼女の心配をしている場合ですか?

いきなり右手をひねり上げられ、苦痛のあまりバランスを崩したところで足をはらわれた。何だよ、この僕を床にねじ伏せるなんて、相当の武術使いでもあるんじゃないか。完全に押さえ込まれて身動きが取れない。

沢渡:離せ…よ。

男:いいですね、私はあなたが苦しむ姿を見たい。…間もなく彼女は見つかるでしょう、でもお楽しみはこれからですよ。

急に身体を解放されたが、すぐには動くことが出来ない。去って行く男も覆面をしていて分からなかった。…情けない。

加藤:沢渡さん!大丈夫ですか!!

やむなく出たSOSに駆けつけて来てくれた。と同時に殿下から通信が入った、深雪が見つかった、と。

-シーン6、医療室にて-

深雪は図書室で殿下が見つけてくださったそうだ。一度事件が起き散々調べられた場所だから、逆に安全だと思ったのだろう、大胆にも貸し出しカウンターの椅子に座らされていたそうだ。しかし命に別状はないが、まだ意識が戻らない。…僕のほうは、とりあえず折れてはいなかったが、右手と左足を捻挫したので冷やしながら、隣のベッドに横になっている。

結城:しかしまあ、沢渡がこんなに簡単にやられたとなると、ある程度絞られてくるよな。

沢渡:そうなんだ。身長は僕より少し低め、そして左利きだと思う。銃口を心臓の真裏に当てたまま、右手をひねり上げたんだから。

殿下:…やはりそうか。僕が行って来る。(去る)

加藤:私も参ります。

僕にも目星はついた。考えたくはないが、殿下のボディーガード南さんが一番犯人像に近い。これほど内部に精通していて、しかもあれだけの武術の使い手は他にはいない。加藤の師匠にもあたり、陛下からも絶大なる信頼を受けている人が何故…。

沢渡:でも本人は驚くほど堂々としてたよ。いつ捕まってもいいといった雰囲気で、お楽しみはこれからだと言ったんだ。…これで終わりだとは思えない。

-兼古先輩と清水先輩、朝霧が入ってくる-

朝霧:沢渡がこんなことになるなんて、驚いたよ。でも深雪ちゃんも見つかったし、ひとまず安心だよな。…夕食まだだろ、結城さんも召し上がってください。(ワゴンを差し出す)

沢渡:ありがとう。先輩達は、もう大丈夫なんですか?

兼古:大丈夫だよ、ピンピンしてる。

清水:ええ。あとは深雪ちゃんね、あ。

振り返ると深雪の睫毛が少し動いた…。慌てて片足でベッドサイドに着地し、彼女の手を握る。

沢渡:深雪、もう大丈夫だよ。ゆっくり目を開けて。

深雪:…ここは?

沢渡:迎賓館の医療室だよ。…心配しなくてもいい、僕がついているから。

深雪:…え?すみません、どなたですか?

なに!!!舞台の演出のように、真上からのスポットライトを残して暗転した状態?…記憶喪失、ただ不思議そうに辺りを見回している様子を見ると、この言葉しか当てはまらない。…お楽しみとはこのことだったのか!!

-シーン7-

検査したところ外傷はなく、やはり相当な精神的苦痛を強いられたのであろう、自分の名前や基本的な生活習慣は分かるらしいが、僕達との関係はまるで思い出せないらしい。ただただ居心地が悪そうにしている。

ドクター:おそらく、ショックで記憶の引出しが入れ替わってしまったんだと思います。ですから、ちょっとしたことで元通りになる可能性のほうが高いと思いますよ。

結城:何か印象的だったことを再現すればいいんじゃないかな、一つ何かを思い出せば芋づる式で思い出すよ。

印象的だったこと…。とは言え、最初に僕が財務長官だと言ったのがいけなかったのだろうか、一つ年上でもあるし、全く関係ないといった様子で、完全に避けられているような気がするんだ…。恋人だとはまだ言っていない。

ドクター:でも何より、彼女には休養が必要です。今日は夜も遅いですし、ここでゆっくり休んでいただく他にありませんね。

沢渡:部屋に連れて帰ってもいいですか?深雪の荷物もありますし。

ドクター:いいでしょう。やはり沢渡さんがご一緒されるのが一番かと思います。

深雪に嫌われるんじゃないかというこの緊張感、まるっきり最初に戻ってしまった。恥ずかしそうに少しうつむいて自分からはほとんど話してくれなかったあの頃、でも僕が少しずつ変えることが出来た。だから今度も、また時間はかかるかもしれないけれどやり遂げる自信はある。いやどうなっても僕が責任をとる覚悟は出来ている。

沢渡:どうぞ、入って。

深雪:(戸惑いながら)ここは…?

沢渡:今日君はここに泊まる予定になっていたんだ。ほら荷物も置いてあるだろう。

深雪:大きなベッドですね。

沢渡:ああ、ここは僕の部屋だからね。

一瞬身を固くしたのがはっきりと分かった。

沢渡:いや、聞いてほしいことがあるんだ、こっちに来て座ってくれないかな。

ベッドに腰掛け、ここ、と隣を指し示すと、ちょっと離れて腰をおろしてくれた。

沢渡:ありがとう…。こんなことになって本当にごめん、僕が犯人に踊らされて深雪の側を離れてしまった。どんなお詫びの言葉も、僕の気持ちを届けるには足りない。

深雪:どうして私のことをこんなに心配してくれるんですか?沢渡先輩こそ、ケガなさってるじゃないですか。

沢渡:いや、ケガは慣れてるから気にしないで。…僕達恋人同士なんだよ。

デスクの上に置いてあった写真を彼女に見せる。

沢渡:深雪もカバンの中から手帳を取り出してみなよ、僕達の写真があるから。

彼女は他人事のように驚いていた。しかし僕が言った通り、手帳には写真が挟まっていたし、携帯の履歴には毎日僕の名前が、メールもそうとなると、さすがに何も感じないままではいられないようだった。

深雪:希…って?

沢渡:二人きりの時は呼び捨てにするようにとお願いしたんだ。なかなか定着しなくて大変だったんだよ。…いいんだ、一度にたくさんのことを言うと余計に混乱するだろうから、今日はおやすみ。本棚にはアルバムや演劇のビデオもあるから好きなように見てね。もちろん今日は別の部屋で寝るから。

深雪:…あの。

沢渡:何?

深雪:前にもこんなことありませんでしたか?私のことをとても心配してくれて、…その時も何だかとても謝られたような気がしたんですけど。

…林田さんの事件のことだ、きっと。忘れたままのほうがいい記憶もあるんだね。

沢渡:無理に思い出さなくていい。今日から新しく楽しい記憶を作っていこう。

おやすみ、と頬にキスをして部屋を出た途端、僕は廊下の壁にどっともたれかかった。無力であることを改めて思い知らされて、出るのはため息ばかり。でも南さんに言われた「あなたが苦しむ姿を見たい…」そう見せてたまるか!これまでもいろいろな試練を乗り越えて来たんだ、僕には前進あるのみ、プラス志向で行くんだから。

-シーン8-

さっき犯人が捕まり、宮殿に移送されたとの通信が入った。何よりだけど、殿下と加藤はショックが大きいだろうな…。とりあえず先輩達の部屋に行くと朝霧も来ていた。

清水:深雪ちゃんの記憶を取り戻すために、舞台を再現しようかって話をしていたところなの。実際に演じてみれば感覚を思い出したりするかなと思って。

沢渡:結城にも言われました。印象的なことを再現するといいって。

清水:ただね、今までの作品って難しくない?早苗はちょっと地味だし、里美は沢渡くんにいじめられるし、ボディーガードもちょっと…。

確かにそれは言えてる、純粋なラブストーリーならよかったんだけどね。

清水:深雪ちゃんのところに行ってくるわ。女同士のほうが話しやすいと思うし。(出て行く)

兼古:お前にはどうしてこういろんな災難が降りかかるんだろうな。…抱いてあげたら思い出すかも。

沢渡:もう、そういうこと言わないでくださいよ。抱きたいのに抱けなくてイライラしてるんですから。

あ…、本音が出ちゃった。

兼古:お前もただの男だな。

沢渡:そうですよ。愛する人を守ることも出来ない、無力で情けないただの男なんです。

朝霧:そう自分を卑下するな。あの状況下では仕方なかった。僕のほうこそ、深雪ちゃんのこと頼まれたのに、みすみす奪われたりしてごめん、責任を感じているよ。

沢渡:いいよ、謝らなくて。今回の事件ではみんな傷ついたんだ。もう起きてしまったことは今更どうしようもない。…僕は最悪、深雪の記憶が戻らなくてもいいと思ってる。一緒に新たな記憶を作ることのほうが幸せだと思うから。

兼古:深雪ちゃんは幸せ者だな。

-シーン9、深雪がいる沢渡の部屋に清水美智枝が入ってくる-

清水:ちょっといいかしら。

深雪:はいどうぞ。(ソファーに腰掛けて、演劇「新たなる一歩」のビデオを見ている)

清水:(その隣に腰をおろして)…どう?この作品。

深雪:沢渡先輩って凄いんですね。見ながらどんどん引き込まれていくというか、釘付けになるほどカッコイイというか。(ちょっと赤くなる)…信じられないんですよ、私達が恋人同士だなんて。少ししか接していませんけど、沢渡先輩が私なんかとは違う世界の人だって雰囲気で分かります。側にいるだけでもドキドキが止まらないんです。

清水:それはただ緊張しているから?それとも沢渡くんのことを好きだから?

深雪:(慌てて)え~と、その…。実際よく分からないんです。確かに目覚めた時沢渡先輩にだけは何か特別なものを感じたんですけど、それは財務長官という偉い人だからなのか、桁違いに素敵な人だからなのか、特別な感情が心の底にあったからなのか、さっきからずっと考えているところです。…何だか清水先輩には落ち着いて話せてますね。

清水:多分ね、記憶がなくても感覚的なものは根底に残っていると思うのよ、反射神経みたいな感じで。…さっきまで沢渡くんと一緒にいたんでしょ、どんな風に感じた?

深雪:凄く意識しちゃって冷静になれなかったんですけど、先輩の香りが何となく懐かしい気がして…。でも私は先輩のことを何も思い出せないのに、先輩は私のすべてを知っているような眼差しで、ふんわりと包んでくれる…いいのかな?って思っちゃいます。

清水:沢渡くんは深雪ちゃんのためなら何でもすると思うわ。嫌じゃないって思うなら、そのまま身を任せてもいいんじゃないかと思うの、悪いどころか、いいようにしてくれるわよ。

深雪:はあ…。私達ってどんな感じでした?

清水:そうね、二人には強さを感じたわ。沢渡くんは仕事もあってそうそう会えないのにお互い強い絆で結ばれていて、私のほうも教えられることがたくさんあった。お似合いのカップルだと思うわよ。

深雪:そうですか…。さっきカバンを見たらプレゼントが入っていたんです。きっと沢渡先輩のために、私が一生懸命考えて選んだと思うんですよ。中身が何なのかとても気になります。

清水:明日二人で開けてみたら?沢渡くん喜ぶわよ。

深雪:(頷く)

-シーン10-

宮殿で今回の事件について会議が行われているが、僕は簡単な事情聴取だけで帰された。

「君は深雪ちゃんについていてあげなさい」

そうは言うけど男と女だし、この夜に何もなく一緒にいるなんてことは可能だろうか。僕はもちろんずっと彼女についていてあげたいけど、深雪はどう思うかな…。それでもやっぱり迎賓館に戻ってきて僕の部屋に足を踏み入れた。そっと寝室を覗くと真っ暗だ、もう眠ったみたい。

もうすぐ日付が変わってしまう。まだ彼女からろくに祝ってもらってないのに…。

とりあえずシャワーを浴びて、気がつくとピアノの前に腰をおろしていた。サイレント機能はついているし部屋の防音効果もバッチリなので、起こすことはないだろう。僕のこの複雑な思いは、繊細なメロディー達が代わりに表現してくれるような気がしたから。

3曲弾くと、いきなりドアが開いた。

沢渡:ごめん、起こしちゃったかな?

深雪:いえ…。ずっと眠れなかったんです。ここで聴かせてもらってもいいですか?

沢渡:いいよ、どうぞ座って。

彼女がソファーに腰をおろすのを見ながら何を弾こうか必死に考える。そうだ、僕のお気に入りのあの曲…。部室に彼女が忘れ物を取りに来た時弾いたのがきっかけで、彼女も好きだと言ってくれた思い出の曲。

弾き終わり振り返ると、深雪の頬に涙がつたっていた。これは!

深雪:ごめんなさい、聴いたことあると思うんですけど、何かが邪魔して思い出せないんです。もう何もかもがモヤモヤしてて分からない…。

沢渡:僕を信じて。

深雪をぎゅっと抱きしめた。

沢渡:僕は君のことをとてもよく知っている、だから導いてあげる。ついて来てくれるかな?

深雪が目を伏せて頷き僕は熱いキスを注ぐ、そしてそのまま大切にベッドへ運ぶ。僕を見上げるその瞳からは、まだ警戒心は拭いきれない。あくまでも優しく、初めての時のようにその緊張を少しずつほぐしていってあげる。

深雪:ああ…、先輩…。

沢渡:ほら、希って呼べよ。

僕の下でピクンと体が動いた!これは効果があったのかもしれない。彼女の瞳に彩りが甦ってくる。

深雪:前にもこんなことがあった、なかなか呼べなくて苦労して…その度に意地悪された…。

沢渡:意地悪って人聞きの悪い…。さあ希って呼べよ。

深雪:(一呼吸して)希。私が一番大好きな人!お誕生日おめでとう!

沢渡:やった!ありがとう。

よかった深雪が戻って来た、そして一番にお祝いの言葉を…。今夜は最高の夜になりそうだ。

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