2/23 (木) 17:00 療養生活2日目

僕が次に目覚めると、加藤が椅子に座ってうたた寝していた。…そうだよな、僕のこと心配してくれているのに言い過ぎたかな?手に持っている本が落ちそうになっているのが気になるんだけど…。ガタッ、落ちた拍子に身体のバランスを崩してはっとする様子に、思わず吹き出してしまった。

「あ、…失礼しました。…食欲はおありですか?」

いつだって優しいんだね。

「さっきはごめん、八つ当たりなんかしてもどうにもならないのにな」

「実は殿下、あれから丸一日経っております。相当お疲れのご様子ですので、しっかり休養をお取りください。殿下はご自分の体力を過信され過ぎです、無理なさらないで、出来ないことは出来ないとおっしゃってください。そうでないと私も強硬手段をとらざるを得なくなります」

それがコンタクトの意味か…。

「分かったよ、ごめんなさい。…もう迷惑をかけたりしないから」

「これを最後にしてくださいね。…お食事の用意をいたします」

よもや加藤に怒られるなんて…、そうだよな、倒れたら元も子もないからな、言う通りだよほんとに。しかも僕以上に厳しいお達しを受けたんだろうな…。でも一週間もどうしよう、そんなにじっとはしていられないような気がする。

そんな僕へのお見舞い第一号は、朝霧だった。

「信じられない、本気で動けないの?」

「そうだよ、好きなだけ笑えよ。あ…」

結城の台詞を思い出した。『話し相手の立候補者はたくさんいる、楽しみにしてろよな』…つまり見舞いの客をここに呼ぶということ、そのためにわざわざ僕は例のセカンドハウスに寝かされているわけだ。この情けない姿をさらすことで、自分の行いをもっと反省しろとでも言いたげな…。

「たまにはゆっくりしたら?何でも言ってよね」

「俺ってサイテー、落ち込みまくりで立ち直れないかもしれない」

「何言ってんだよ、君らしくもない。ほら、まず何がいい?」

ケースから愛器を取り出してチューニングを始める。リクエストしたのは、最近世間でヒットチャートを爆進しているミディアムテンポの曲。結構好きなんだよね。これ以上落ち込むことはないだろうから、せめて明るい気分になれるように。…演奏のあと、この身に降りかかっている悲惨な状況を話した。

「結構厳しいんだね。倒れるまで働かせたのは王宮のほうじゃないか」

「そうなんだけど、何があっても仕事に穴を開けちゃいけないんだよ。かなり反省してる、もうこんな思いもしたくないし」

「深雪ちゃんも心配してたよ、討論会の時、沢渡の異変に気づいたのは彼女だけだったそうだ。でも途中の休憩の時結城さんに『会わせるわけにはいかない』って言われたんだって」

「そうか、ますます会わせてくれなんて言えないよな…」

出来るだけ一緒にいてやると言ってくれた朝霧は、この場で毎日の日課のレッスンを始めた。久し振りに時間の流れをゆっくりと感じる、こうなったらとことん普段は出来ないことをしようと思って、その様子をじっと眺める。少しくらい贅沢させてくれたっていいじゃない、バイオリンの調べを聴いていると癒されていくのがよく分かる。

「私も一曲聴かせてもらおうかな?」

いつかいらっしゃるとは覚悟していた陛下が、予想より穏やかな表情をされていたので、胸をなでおろしたけれど、緊張は拭いきれない。

「申し訳ありませんでした」

朝霧がもう一曲演奏して下がって行き、二人きりになった。

「起き上がってはいけない、いいよそのままで。…そこまで身を痛めていたとはね、いくら若いとは言え私の考えが甘かった」

「いえ、自分の体を管理できなかった私に、落度がありました。どのような処分も覚悟しております」

陛下は小さく頷かれた。

「王宮には長い歴史があるから、積み重ねられてきた伝統を打ち砕くには、大変な勇気が必要だ。私は君をスカウトした以上、責任を持って育ててきたつもりだったが、もっと仕事を選ぶべきだったね」

それは…。

「いや、そういう意味ではない。君の存在自体すでに意味がある。財務長官に就任して以来、王宮の好感度や親近度は、飛躍的に上昇した。今の王宮にとって、君はかけがえのない存在だ。君の身体を第一に考えてスケジュールを調整し直すから、この機会にゆっくり休みなさい」

分かりました…。いいのか悪いのかまだ分からないけど、僕を長い目で見てくれているというのは嬉しい。僕ができること…、昨年末にCMに出演して以来、時々TVからお呼びがかかる。政治を分かりやすく説明する番組は月一回のレギュラーになったし、コメンテーターとして、また個人としてトーク番組に出演したこともある。

でもその度にこれでいいのかな?なんて思ったりする。芸能人じゃないんだから、しばらくしたら飽きられるんじゃないかとか、一応トークのネタは考えていかなきゃとか。いやもしかしたら、これからこんな仕事が増えるかもしれないってことかな?ただTVに出るとその反響は凄いものがある、侮れないどころか有効なメディアなんだよな。

「失礼いたします、深雪さんがお見えになりました」

宮殿と違って、生の仕官の声がインターフォンから流れる。

「入ってもらって」

やっと来てくれた!携帯電話も許されなくて連絡の取りようもなく、心配してただろう。

「希…」

ドアのところに佇んでいるようだけど…、

「早くこっちに」

「うん、…思ったより元気そうな表情でよかった」

「情けないよな…、心配してくれたんだろ、ごめん」

何とか布団の下から右手を差し出すと、彼女は跪いて両手で包み込んでくれた。その手が小刻みに震え出したのが分かる。

「俺は大丈夫だから泣くなよ…ってこんな姿で言っても説得力に欠けるけど、すぐに良くなるから。…それとも誰かに何か言われた?」

「ううん、毎日お見舞いに来て欲しいって結城さんに言われたの。…私こそごめん、勇気づけてあげなきゃいけないのに、逆に困らせちゃって」

「だったらもっと近くに来て。今日の俺、見えないから」

深雪が身を乗り出してキスをしてくれる。

「熱があるね、ゆっくり休まなきゃ」

「うん、今の俺がすべきことは休むこと。みんなに迷惑かけちゃって、今回のことは凄く反省したんだ。でもとことんまで落ち込んだあとは、いいように考えようと思ってね、こんな風にゆっくり話せるチャンスはそうそうないよね」

「そうだけどあんまり無理しないで、疲れたら眠ってね」

ありがとう。やっぱり絶対一人だと悪いほうに考えてしまうから、一緒にいてくれるとホッとする。でももう少し欲を出すなら、深雪にはもっと楽天的になってほしい。僕が神経質だってことは自他ともに認めるところで、だから彼女によりどころを求めたいというか、二人で滅入っていてもしょうがないし。心配かけないようにすればいいんだけどね。

しばらくあれこれと話していると、深雪のほうが先にうとうとし始めた。あまりに無防備で幸せそうに目を閉じているので、こっちまで眠くなってきた。肩から毛布をかけてあげることも、ましてや布団に引きずり込むことも出来ない、でもつないだこの手だけは離さないよ。

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