役作りのためにまた宮殿に戻ってきている。実家にもピアノがあるが、目隠しをしたまま弾くととんでもない演奏になるので聴かせられない。また、生活部分の練習にも実家は狭くて危険だ。
そして今夜は加藤に付き合ってもらうことにした。
「自室は勝手が分かっていらっしゃるので、よろしければ他の場所にお連れしてもよろしいですか?」
「それはかなり怖いね」
「役作りにはもってこいですよ」
まあ、確かに。とりあえず目隠しをして加藤の右腕につかまる。そして自分の右手は周囲にぶつからないように前や横に動かしながら歩を進める。
「ここから階段です」
加藤が一旦止まって教えてくれる。…宮殿の中はバリアフリーだし、普段はターボリフトに乗るので階段は使わない。だから余計に、初めの一歩を踏み出すのが怖いこと。
「あと3段、2段、1段、踊り場です。またすぐ階段ですよ」
聞いていると、加藤の案内は的確で親切だ。おかげで最初は腕につかまるときに込めていた力も徐々に抜けていった。だけど役の彼にはいつも誰かがそばにいるとは限らないから、加藤と相談して医療室に行くことにした…白い杖の使い方を教えてもらうのだ。
「目が見えていた頃の記憶に頼り過ぎないようにしてください。周囲の状況を視覚以外の感覚で捉えることが普通だと思うようにならないと、すぐに疲れてしまいますよ」
なるほど。目が見えないのが普通…か。そう、僕には目が見えなくなってからのシーンしかない。だったら練習のときもいつも、目隠しをして慣れておいたほうがいいということなのかな。でもその前に、杖だけで歩いてみないと…これがまた、怖くてたまらない。
「大丈夫ですよ。何かの時にはすぐに手を差し伸べますから」
…言われたそばからいきなり何かに躓いて、加藤に抱きかかえられてしまった。怖すぎる。
「はい、もう一度」
しかしドクターは容赦なく言った。そうだ、遊びでやっているわけではないんだ。気持ちを引き締めていかないと…、集中して、集中して。