部長と兼古先輩は、沢渡先輩のお見舞いのために一度宮殿に来たことがあるという。
「でも、あの結城さんの迫力は凄いからな、圧倒されないように」
その名前は、私も何度か沢渡先輩の口から聞いたことがある。先輩を育ててくれた人で、一番信頼している人だって。どんな人だろう?兼古先輩がそう言うくらいなのだから、よっぽどなのだろうけど、どんな風に?
そして入ってきたのは、物凄く背が高くて、がっしりした体つきで、日焼けしていて、髪が短くて、目つきが鋭くて、スーツがビシッと決まっている、先輩とは桁違いに大人な男の人だった。・・・先輩たちにつられて私も慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「すまない、沢渡はもう少し時間がかかりそうだから、先に始めることにする。え~と、深雪ちゃんは初めまして、だね。私は王宮顧問で沢渡の教育係でもある結城です。沢渡が世話になってありがとう、君のことはいつも沢渡から聞いている」
あ・・・はい。確かに、この人は話し方にまで威圧感があるから、ありがとうって言われても、怒られてるみたいな気がする。
「今日来てもらったのは、他でもない。沢渡が来月1日付で財務長官に就任することになったので、それに伴う注意事項を伝えたかったからだ」
え!まだ高校生なのに、財務長官に!これには先輩方もビックリした様子だった。結城さんが資料を基に王宮の仕組みを改めて説明してくれることになったのだけど、聞けば聞くほどこれは凄いことで、世界でも類を見ないことだということがよくよく分かった。
「となると、周囲の君たちにも、マスコミが押し寄せることになると思うので、あらかじめ話をしておこうと思ったわけだ。基本的にはどう受け答えしてもらっても構わない。特に沢渡のことをよく言う必要はない。ただ、沢渡と深雪ちゃんが付き合っていることは、マスコミにはもちろん、クリウスの他の生徒にもしばらくは黙っていてほしい」
やっぱり・・・、そういう展開ですか。
「それは別に否定しているわけではなくて、二人にとって心が安まる場所を残しておきたいからだ。何もかもさらけ出す必要はない」
え。私たちのために。・・・するとそのとき、小さめのチャイムが鳴り、重厚な鉄の扉がすっと開いて、先輩が入ってきた。
「お待たせして、申し訳ありません」
うわ~、先輩は濃いグレーに細いラインが入ったシックなスーツを着ていて、目が覚めるようなカッコよさ!そしてその先輩が私の姿を認めると、ニッコリ笑ってまっすぐ近づいてこようとした・・・のだけど、結城さんが先輩の腕をがっしりと捕まえた。
「さっきのあれ、どうなった?」
「ああ、うまくまとまったよ。相手が折れてくれた」
「そうか、よくやった」
すると結城さんはつかんだ腕を更に引き寄せて、先輩の頬に軽くキスをした!!!・・・その仕草があまりにも自然でカッコよすぎて呆然。
「ちょっと失礼します」
え?いつの間にか先輩が私の横に立っていて、今度は私の腕が捕まれていた。そしてそのままドアの向こうに連れて行かれ、きつく抱きしめられた。
「あんなヤツのために、嫉妬なんかしなくていいよ。会いたかった」
そして唇にキス・・・。すると今までのいらだちがすっと収まって、温かい気持ちが溢れてきたことに気づいた。
「さあ戻ろう。大事な話だから、よく聞いておいて」
会議が終わると、沢渡先輩が部屋に案内してくれることになった。先輩も結城さんから言われたときに驚いていたので、これも特例というわけ。
「凄い部屋だな~、いきなりグランドピアノかよ」
「このピアノは、去年の誕生日に、殿下が引越祝いもかねてプレゼントしてくださったものです。この春に次期皇太子になったときに、この部屋に引っ越したんですよ。どうぞあちらに」
リビングの他に、キッチンと、ベッドルーム、トレーニングルーム、バスルーム。シックな色合いで先輩のイメージにピッタリなんだけど、あまりにも決まりすぎていて、本当に住んでるの?と思っちゃう。
「この部屋はとても気に入っているんだ。殿下からは、モデルルームみたいだと笑われているけど」
「殿下のお部屋は、こんな感じじゃないんですか?」
すると先輩は、僕の口からは言えないよ、と笑った。そういえば、殿下にはまだお目にかかっていない。
「ねえ、ピアノを弾いてあげるよ。まだちょっと腕に不安があるから、テンポが速い曲は弾けないけど、リクエストはある?」
「じゃあ、この夕暮れ時にピッタリな曲を」
さっき、バスルームから海に沈む夕日を見た。ただ先輩は、こんな時間にお風呂に入ったりしないけどね、と笑っていたけど。私にとっては宮殿の全景を見ることすら初めてだったけど、実際に入ってみると、とても現代的でカッコイイ。しかも迷路のようになっていて、普通に壁だと思っていたところがターボリフトの入り口だったり、部屋に入ると山の緑が鮮やかだったり、見下ろす宮殿の造形がとても美しかったり、ホントに飽きない感じ。ここが先輩の家なんだ・・・。
他の部屋を見ていた部長と兼古先輩も、ピアノの音に誘われるようにリビングに戻ってきた。
「凄いよな、沢渡は。自分の力でこの部屋を勝ち取ったんだから。まだ高校生だからって、遊んでいるわけにはいかないよ」
そう言って兼古先輩はためいきをつき、部長もまたリビングにある本を手にとっては、ためいきをついていた。ここで浮かれているのって私だけ?するとどこからともなく優しいメロディーとアナウンスが流れた。
“響殿下、舞さん、結城さんがお見えになります”
うわっ、とワタワタする私たち、に比べて、沢渡先輩は気にする様子もなく、情感たっぷりに、しっとりとピアノを弾き続けている。・・・その横顔が艶っぽい。そして先輩が開いたドアに向かって会釈すると、さっき名前が挙がった三人がリビングにいらして、ソファーの向かい側に腰を下ろされた。・・・本物だ。しかも、殿下と舞さんのツーショットは貴重。
1曲終わった後殿下がもう1曲リクエストされ、それから先輩がソファーセットのところにやってきた。
「わざわざお越しいただき、申し訳ありません」
「いいんだよ沢渡くん。久々に沢渡くんのピアノを聞けたし、何よりやっと深雪ちゃんに会えたし」
え!私ですか!
「バカ、深雪ちゃんが困ってるじゃないか。折角沢渡が深雪ちゃんに会えたって言うのに、邪魔するな」
「何を言ってるの、結城こそ。深雪ちゃんの前で、沢渡くんにキスをしたそうじゃないか」
「あれはだな、ああでもしないと、人前で抱きつきそうになっていたからで・・・」
「結城、黙って!」
「貴くん、お客さんの前よ!」
え、え~~~。沢渡先輩と舞さんがそれぞれ腕をつかんで、二人を引き離そうとしているけど・・・それにしても、いつもにこやかで上品な殿下と、さっきはあんなに怖そうだった結城さんが、大人げないバトルをするなんて・・・。
「ゴメン深雪、この二人が集まるといつもこんな感じで・・・」
いつもなんですか!?
それでも、場所を移した夕食会では、さっきまでとは大いに様子が変わっていた。そこで沢渡先輩は、初めて殿下にお会いしたときのこと、そして、結城さんには大いに感謝しているということを話してくれた。
「殿下と結城は、僕にとっては家族みたいなものだから、こうして、いつも学校でお世話になっている先輩方と、僕の大切な深雪を紹介することが出来て、今日は本当に嬉しいです」
「ううん、沢渡くん。僕のほうこそ、普段沢渡くんによくしてくれている清水さんや兼古くん、深雪ちゃんと話すことが出来て嬉しいよ。演劇の才能も開花させてくれたしね」
「あの、そのことなのですが、よろしいですか?」
部長は、文化祭での演劇部の公演について相談を持ちかけた。まずは全国大会で優勝した作品を、文化祭でも演じてほしいと学校から言われていること、でも新作も上演したいと思っていること、そして沢渡先輩は文化祭に出られるのかということ、もし出られるのであれば、警備の問題は大丈夫なのかということ。
「朝霧のことも含めて話すが、今のところ学校行事には出来るだけ参加させるつもりでいる。ただ朝霧も、リサイタルを開いてほしいと言われるんじゃないかと思うから、その件は直接聞いてみてくれ。でも沢渡は出させるよ、何せ王宮にもファンがたくさんいるから、警備でも何でも協力するよ」
「楽しみだね、今度は堂々と観に行ける」
ほらやっぱり、と結城さんが頭を抱えていらっしゃる。・・・結城さんも、厳つい印象を受けるけど、本当は気さくな方なのだろう。沢渡先輩も、結城さんに対してはタメ口で話しているし。
帰りは、沢渡先輩が家まで送ってくれることになった。
「やっと二人きりになれたね」
遮断された車の後部座席で、先輩は、私のことを何度も抱きしめてはキスをしていた。
「このまま帰したくないって思ってしまう」
宮殿であんなにも先輩がいかに優秀かを聞かされたのに、そんな人が私なんかをこんなにも求めてくるなんて嬉しすぎる。先輩は、私の前ではただの先輩。私のことを好きでいてくれる、ただの先輩。
「言ってもどうにもならないのに、ゴメンね。それどころか、困らせてしまうだけだよね」
「今日、私も分かりました。・・・先輩にこうしてもらえると落ち着くって」
深雪・・・と、先輩が私の名前を呼んで、髪をなでる。
「ねえ、お願いがあるんだけど・・・、二人でいるときは希って呼んでくれない?先輩って呼ばれると、どうも気分が盛り下がっちゃうんだよね」
え~、そんな、呼べないですよ。
「ほら言ってみて、希って」
「希・・・さん」
そんな目で見つめられたら、言えませんって!・・・先輩のことガッカリさせちゃったみたいだけど、まだそんなこと出来ませんって。
「そのうち慣れるよ、だからこれから努力して。・・・それから、もう一つお願いしてもいい?」
そして先輩は、私の耳元でコソコソと囁いた。
「あ、それなら出来ますよ!私は、朝ゆうこの散歩に行くので、起きるのは早いんです」
・・・私にも出来ることがあった。