沢渡は仕事が忙しいようで、午前中の数時間しか部活に来られない。だから、深雪ちゃんがヒロインを演じることになったことについて、ほとんど話せていない。・・・きっと嬉しいに違いないのだけど、二人は私情を挟まず演技に集中していて、しかも沢渡は時間が来たらさっさと帰ってしまったので、まだ放心状態でいる深雪ちゃんを落ち着かせるのは、役通り俺しかいなくなってしまっている。
「沢渡は何か言ってた?」
「はい・・・私相手だとやりやすいって。でも、正直言って私はやりにくいです。役だって分かってるんですけど、怖くて」
はぁ~なるほど。沢渡は彼女相手だから遠慮なくやっているというわけか。
「でも後のフォローはちゃんとしてくれてるんだろ?」
「はい。そうなんですけど、私は沢渡先輩みたいに器用に気持ちを切り替えることができないんですよ。とにかく役はしっかり務めないと、とは思っています。でもなかなか・・・」
深雪ちゃんの気持ちも分かる。付き合って間もないのに、いろんなことがありすぎだよな。
「じゃあとりあえず、沢渡とのシーンの後は俺とのシーンを稽古することにしよう。そうすれば少なくとも、怖い思いをしたままってことはないだろう」
「そんなことしてもらってもいいんですか?」
「大丈夫、アイツはこれからもこんな風に先に帰ってしまうんだろ?だから、どっちにしろ自然とそういうことになるだろうし、俺からもちゃんと言っておくから」
あ~、深雪ちゃんってかわいいな。役の俺でなくても、守りたくなってしまう。素直だし、健気だし、一生懸命だし・・・沢渡にはもったいないくらいだ。
「祐輔?」
ヤバイ。いつの間にか美智が目を光らせていた。
「さあさあ、深雪ちゃんが凹んでいる間に続きをやろう。俺も本気出していい?」
「バカなこと言ってないで・・・深雪ちゃんがかわいそうでしょ、振り回したりしないの」
はいはい。
「あの・・・、私、素が出過ぎていませんか?沢渡先輩は前の作品で、リアリティよりも見え方が大事だって、演技に努めてましたよね。・・・でも私にはとてもそんなことできなくて」
まだ公演までには一ヶ月もある。今はよくできているけど、この緊張感が一ヶ月も続いたりしないと思うし、もし仮に続いたとしたら・・・深雪ちゃんが持たなくなってしまう。
やっぱり沢渡と話しておく必要がある。