一夜明けて、いざ街に出ることにした。手をつないで歩いていると二人のブレスレットがカチンと音を立てるので、お互い微笑み合ったりして。昨日深雪に慰めてもらったので少しは楽になったけど、やっぱり緊張するな…。でもいつか過去と向き合わなければ前に進めないと思ったから、勇気を振り絞ってみたんだ。
まず向かったのは昔住んでいた場所。…すでに人手に渡り新しい家が建っていたけど、周囲の景色は思ったほど変わっていない。
「あれ希君?」
声に何となく覚えがあって振り返ると、向かいの鈴木さんのおばさん!
「ご無沙汰しています」
「いつも見てるわよ~、大きくなって、偉くなってね~」
「おばさんこそ、インタビューを拝見しました。昔とお変わりなくて懐かしかったです」
あ?とおばさんの視線が深雪に釘付けになった。
「紹介します。僕の恋人で川端深雪さん。こちらは小さい頃お世話になった鈴木さん」
初めまして、こんにちは、とお互い挨拶をしてから、おばさんが家に招いてくれた。和則もいるから上がってって。…ドキドキ。
「…あ」
幼なじみが口にした言葉はその一言だった。その気持ちは僕も同じ、だって昔はカズくん、のぞみくんと呼び合っていた二人が、この年になってどう呼べばいいのか分からない。
「俺のこと覚えててくれたんだ。…久し振り」
あの頃の面影を残しつつ、おそらくクラスの人気者らしい、人当たりの良さが伺える。
「いきなり来たりしてごめん。…何て言うか、いろいろあって」
「俺は君と違ってヒマだから…歓迎するよ」
それならよかったと、とりあえずは安心した。…なかなかすぐには感覚が戻ってこないけど、お互い近況を報告し合ううちに、懐かしの地を訪ねてみることになった。まずは幼稚園から。
「幼稚園なんてもう用がないだろ、俺だって行くのは久し振りだよ」
「だって子どもは行動範囲が狭いだろ、覚えている場所というと限られて来るんだ」
徒歩で10分ほどのところにある幼稚園へは、いつもカズとお互いの母親とで一緒に行っていた。春は小川の川べりの桜並木がとても綺麗で、よく寄り道をしたっけ。夏はそのまま水遊びに行こうとして、怒られたりしたな~。
「幼なじみっていいいですね。いつも一緒でした?」
「家が近いし親も仲が良かったから、一緒に食事に行ったり泊まりに行ったりもしたよ。昔のことなら何でも知ってる」
「おい、余計なこと言うなよ」
あんまり記憶がクリアじゃないだけに、ドキドキするだろ。
「やっぱりモテたから、女の子をめぐって別の勢力の男の子に決闘を申し込まれて、集団に一人で立ち向かおうとしたことがあった。俺も行くって言ったのに、来るな、とか言って」
そんなことあったっけ?
「それでそれで?」
「希は最初言葉で闘おうとしたんだけど、ガキは理屈より武力行使だろ。相手が殴りかかってきたんだけどよけなくて、軽くだけどやられたんだよ。女の子がキャーッって感じで泣き出したところで、『このくらい平気だよ、ちょっと目をつぶってて』って言って一撃でリーダーをやっつけ、二人はめでたく…ってドラマみたいに最初から計算してたんだよ。頭のいいヤツは違うよな」
「深雪にそんなこと言うなよ」
「昔の話じゃないか。…深雪ちゃん、コイツに任せておけば大丈夫だよ。今のことはよく知らないけど、昔でさえそんな状態だったから、きっと幸せにしてくれるよ」
「…ありがとうございます」
おい、深雪に近づきすぎてないか?すっかりなじんでるよ、この二人…。
でもそうだよな。昔香澄ちゃんって子と仲良かったんだ。おしとやかでかわいくて、でも積極的でキスもしたなあ…結婚するとか言ってたかも!彼女は今頃どうしてるんだろうな。
たどり着いた幼稚園。当然春休みなのでガランとしていたが、園長先生は昔と変わらず、何人かの子どもと花壇に水をあげていらした。
「あっ!さわたりでんか!」
良くありがちな子どもの指差し攻撃に遭って、園長先生が振り向かれた。
「お帰りなさい殿下、鈴木君。よく来てくださいましたね」
「ご無沙汰しております、…うわ」
「でんか~、カッコイイ!」
「せがたかいね」
「だっこして~」
いいけどほら髪を引っ張らないで。子どもって怖いな、体当たりで来るもんな。
「ねえ、おねえちゃんはでんかのかのじょなの?」
「深雪って言うの、よろしくね」
「ねえねえ、キスしたりするの?」
何なんだ近頃の子どもは!
園長先生は昔のアルバムなどを見せてくださり、昔話に花を咲かせた。
記憶にはアクセスしないと、その回路が廃れてしまうと聞いたことがある。僕は昔を封印したいがために意識的に触れないようにしていた。しかしこの地を訪れてから、記憶のかけらが少しずつつながってきたような気がする。
「カズ、…ずっと謝りたかったんだ」
園長先生が席を外したすきに話を切り出した。
「何?」
「上京する前、これからもずっと友達でいようって約束したよな。でも僕は返事を書かなかった。いや書けなかったんだ。その頃の僕は決して楽しい毎日を送っていたわけじゃなくて、みんなの楽しそうな手紙を読むのがとても辛くて逃げたんだよ。心配してくれたのは知ってる、でも僕はその日を生きるのに精一杯で、読もうとはしなくなった。…でもしばらくして気がついた。折角手紙を送ってくれたのに、僕は無視し続けてみんなを傷つけたんじゃないかって。それから逆に自分でしたことが怖くなったよ。申し訳なくて、でも謝るタイミングがつかめなくて、…そのうち時の流れに任せようと思った、忘れてしまえばいいって。便利なことに、この間までほとんどのことは忘れていたんだ。来てはいけないという認識で、記憶の扉にカギをかけていた。今更だけどゴメン、悪かった」
深々と頭を下げた。
「そんなことをずっと気にしていたのか?頭上げろよ」
今度はこっちが何?だよ。
「今となっては、皇太子であるお前が、こうして昔と変わりなく接してくれていることのほうが大変なことだよ。だって子どもの頃の話じゃないか、誰だって自分中心に世界が回ってると思ってるもんだろ。俺達だってお前がどんな状況でいるかなんて全然ピンと来なかったから、勝手なことばかり書いたんじゃないかな?人間失敗するごとに成長していくものだから、そのことはもうチャラにしよう。謝られるほどのことでもないし、気にするなよ」
「いいのか?」
バ~カと頭を小突かれた。
「天下の皇太子殿下様が、そんなことでクヨクヨしてたなんて信じられないよ。お前は俺達の誇りだぞ、俺だって学校で『沢渡とは幼なじみだ』って言ったら一躍ヒーローになれてさ、恩恵にあやかってます」
カズのほうが大人だよな。深雪の言った通りだった、神経質すぎるんだよ僕は。でも胸につかえていたものがすべて消え去って、晴れやかな気分になった。友達っていいなって改めて思う。10年も会っていなかったのに、ほんのわずか一緒にいただけで、時間を飛び越えて昔と同じように親しく付き合える。
その後カズが何人かの友達を呼んで、一緒に昼食をとった。そして名残惜しいけど、帰りの電車の時間が来てしまう。
「今度帰ってくる時は前もって連絡しろよ。もっと人数を集めて同窓会をしよう」
「うん、ありがとう。逆に首都に来た時は招待するから、楽しみにしてて。…また連絡するよ」
じゃあなバイバイ!デッキで手を振る頃には、ホームにもたくさんの人だかりが出来ていた。昨日この街に来た時はあんなにナーバスになっていたのに、帰りには多くの人に見送ってもらえた。…本当に来てよかったと思う。
「よかったね希。私も何だか嬉しかった」
「うん、今日は大切な記念日になったよね。深雪の誕生日、俺の記憶の開封日、そして第一回目のプロポーズの日。…これは正式にはほんの少し昨日だけど、日付をまたいでってことで」
そうだね、とブレスレットをカチンと合わせる。
「希が恋人って紹介してくれる度に嬉しかった。…早く大人になりたいよ、カメラの前でちゃんと紹介してくれるように頑張るから」
「まあまあそう焦るなって。貴重な学生生活をもう少し謳歌させてくれよ、これからまだまだ先は長いんだから」
これからもっとたくさん楽しいことが待ち受けているはず。仕事において僕の野望はまだまだある。学校でも生徒会長として新たな行事をしたいし、部活ではとりあえず新入生歓迎会、そして夏には全国大会連覇の目標もある。支えてくれている友人達のひとときも楽しいし、何より深雪を幸せにしてあげたい。
世の中には知らないことだってたくさんある。新たな流行の波が次々と押し寄せるけれども、変わらないのは僕がこの時代に生まれ存在しているという事実。何処にでもあるような三人家族に生まれてきた僕が、今ではとても多くの人に必要としてもらっている。まだまだ至らない僕だけど、更なる成長もこれからのお楽しみということで、僕達の旅はこれからも続いていくのだ。