今日から二泊三日の演劇部の合宿だ。
やっぱり楽しいのは夜だったりするのだけど、僕は皇太子をクビにはなりたくないので、アルコールは厳禁!これだけは徹底させてもらうことにした。当たり前と言っては当たり前ではあるが、個人の家でならまだともかく、学校の宿泊施設ではマズイ。その代わり就寝時間は自由ということで、みんないつまでも盛り上がってる。ホントに仲のいい部活だよ。
僕は少しだけ抜けさせてもらって車の中で仕事をし、また戻っていくと、廊下で吉岡と遭遇した。・・・いや、待っていたらしかった。手にはジュースが二本。
「折角なので先輩と話したくて」
敵対心などまるでなく、心からそう言っているのが分かる。なんていいヤツになったんだ、先輩は嬉しいよ。
場所はどこでもよかったけど、部屋に二人きりになるのは何となく避けたくて、階段に二人で腰掛けた。まずは乾杯。練習は順調に進んでいて何より。
最初はあれこれ作品について意見を交わしていたが、そのうちすっかり打ち解けてだんだん話はプライベートな方向に。
「先輩は演劇を続けていくつもりはないんですか?こんなに素敵な演技が出来るのにもったいないですよ」
う~ん、考えたことがないわけではない。
「でも、それ以上に僕の使命があるからな。老後の楽しみにでもとっておこうか」
「何言ってるんですか、もう。・・・兼古先輩ってどんな人ですか?芸能界に進むということはいつから決めていらしたんですか?」
吉岡は役者になることも考えているらしい。それで僕は、先輩が芸能界・・・正確に言えば、役者の道に進むことになった経緯を簡単に説明してあげた。改めて思い出すといろいろなことがあったな~。
「でも意外と安全策をとっているんですね。才能があれば身一つで出て行くことも可能なわけでしょ?」
「うん、でも兼古先輩の場合は家がカタイからね、これでもかなりの挑戦なんだよ。もちろんそんなものは全部捨てて、帰るところもなくしたほうが真剣に取り組める人もいるだろうけど、その前に、芸術には天性の素質が不可欠だろ?オーディションなどでプロの判断を仰いでから考えたほうがいいと思うよ」
これは朝霧にも言っておいたことだけどね。・・・なるほど、と、隣では考えているようだ。
「例えば、先輩から見て僕はどうですか?率直な意見をお願いします」
ぺこりと頭を下げられた。これは言葉を慎重に選ばなければいけないな。
「素質はあると思う。でも大事なのは第二段階であるこれからだよ。宝石でもカットの仕方で価値が変わってくるように、どう磨いていくかにかかっている。幸いウチの部は全国一のお墨付きをいただいていて、僕も教えられることは全部教えていきたいと思っているけど、例えば君がもうすでにオーディションや劇団の所属を考えているとしたら、止められない。あとはやる気だろうね」
いや、そこまではまだ考えていません、と、即座に否定して、
「僕は先輩の元でやっていきたいと思います。ビシバシしごいてください、よろしくお願いします」
ますます深く頭を下げられた。・・・しかしここまでされると気持ち悪いじゃないか。
「改心したんだな」
意図的に少し冷たく言ってみた。・・・案の定吉岡はビクッと体を震わせて、おずおずと僕の顔を見た。
「やっぱり先輩、怒ってましたよね。最初はかなり失礼な態度をとったかもしれません。でも、僕は間違っていました。先輩のことをよく知りもしないで、勝手にこうだと決め付けていたところがありました。その節は済みませんでした」
「それで?」
「やっぱり先輩って凄いです。格が違うって言うかうまく説明できませんけど、尊敬しています。社会の波に揉まれていろんな人と接している先輩に『素質がある』と言ってもらって嬉しかったです」
そうか。言われなくても、君の顔や態度を見ていれば分かっていたよ、ちょっと意地悪して言葉にしてもらったけど。だって最初はどこかひねくれていたよ、でもそれさえ直せば根はいいヤツなんだから、こうなることは分かっていた。
「僕は君を演劇部の貴重な戦力として高く買っている。深雪に関してはまた別の話だけどな」
「それはもう心配要りません、僕は完全に手を引きます。ただし・・深雪先輩のこと、幸せにしてあげてください。あんなに寂しそうな顔をさせないでください」
あんな寂しそうな顔・・・そう、僕の責任だよな、分かってる。・・・そうだ、深雪は何をしているだろう?・・・また怒ったりするかも?ちょっと電話してみようかな?
登録してあるボタンをピッと押すと、・・・驚くほど近くで着信音が鳴り、そのまま切った。
「深雪、聞いてたのかよ」
上方に声を掛けると、踊り場を挟んでいるので半階上の手すりから、ちょこっと顔を覗かせた。
「だって帰りが遅いんだもん」
それは悪かったな。
「じゃあ吉岡、そういうことだからまた明日な」
「はい、・・・ありがとうございました」
吉岡は上へ、そして深雪は下に降りてきた。
「立ち聞きはダメだよ」
「でもこんなところで話してたら、自然と聞こえちゃうよ」
それは言えてるかな。・・・そうだ。
「散歩しに行こうか。月夜のデート」
「え?今から?・・・ちょっと怖いけど」
「俺がいるから大丈夫、だろ?」
このくらいの楽しみがなければ、やっていられない。この広い学園の敷地に、今夜は演劇部の部員のみ。二人で外を歩けるなんて、滅多にないことなのだから。
「分かった、行く」
よし。加藤にもついて来ないように言って、さあ、出発。
「知ってるか?クリウスにはいくつか謎の事件があってな・・・」
「いやだ~、そういう話はなしだよ~」
今夜は下弦の月で、辺りは薄闇。一応外灯はついているけど、普通は夜間立ち入り禁止だから、街に比べると間隔は非常に広い。もちろんお互いの顔はほとんど見えない、ただ指先の体温だけが頼り。
「寒くないか?」
昼間とは打って変わってひんやりとした空気が、肌に触れる。少し・・・と答えた彼女の肩を抱いて、警備員に見つからないように、束の間のデートを楽しむことにした。